1988年に埼玉県三郷市で発生した女子高生コンクリート詰め殺人事件。
女子高生が男4人に拉致され、約40日間の監禁・強姦・暴力の末に亡くなり、コンクリートに詰められるといったあまりに残虐でむごい事件であったため、事件から35年が経過した今もなお語り継がれています。
そして、その主犯格4人は当時未成年であったことから少年法が適用され、刑罰は比較的軽くすでに出所し、中には結婚した者もいるようです。
そんな加害者たちの現在が気になる方が多くいるようですね。
そこで今回の記事では
についてまとめていきたいと思います。
※事件の内容は本当に酷く辛い内容であるため、閲覧注意でお願い致します。
コンクリート事件とは?
まず、コンクリート事件とは1988年に起きた事件であり、若い世代には知らない方も多いと思いますので簡潔にまとめていきたいと思います。
1988年11月、事件当時17歳の女子高生である古田順子さんはアルバイト帰りに不良グループに拉致されました。
その後、犯人グループの溜まり場となっていたメンバーの自宅で監禁。
約40日間にわたって、非人道的な暴行を受けたといいます。
初めのうちは悲鳴をあげて抵抗をしていたものの、徐々に心身ともに衰弱していき想像を絶する苦痛を受けながら亡くなりました。
さらに犯人グループは古田順子さんの遺体をドラム缶にいれ、コンクリートやセメントで固めて埋立地へ遺棄するという、なんとも残虐でむごい事件です。
被害者の遺体の状態
発見された遺体は、捜査に慣れている職員でも見るに耐えない状態だったと言います。
・身長166㎝に対して体重44kg
・高度の栄養失調に陥り腹部の皮下脂肪はわずか約1cm
・顔が変形してしまうほど腫れ上っていた
・性器と肛門は完全に破壊され繋がっていた
・ストレスで脳が通常の2分の1にまで縮小していた
そんな悲惨な状態でコンクリート詰めにされ、遺体は変色して全身が真っ黒の状態だったそうです。
被害者が受けた暴行内容
この事件を調べて知ったのは、被害者が受けた暴行はとても人が行ったとは思えないことばかりでした。
・顔一面を蝋で覆い、両瞼にの上に短くなった火のついた状態の蝋燭を立てる
・20㎏の鉄アレイを体の上に落とす
・電動ドリルで膣と肛門を破壊
・ゴキブリを食べさせる
・乳房に針を刺す
など、被害者が受けた苦痛は想像を絶するものであり、とても人間のやった行為とは思えません。
また、40日間で400回以上の性的暴行を受けたとの情報もありました。
その経緯もあり被害者の古田さんは妊娠していたという記事もありますが、それはあくまでも噂であり確かな情報ではありません。
しかし、仮に妊娠していたとしても、暴行による流産の可能性、またはとてもこどもを産める体ではなかったことが予想されます…
被害者はなぜ逃げられなかった?
監禁されていたのは加害者の自宅であったようですが、被害者の古田さんがこの地獄のような環境から脱出できるタイミングはなかったのでしょうか…?
古田さんが監禁されていた場所は犯人の自宅であり、加害者メンバーの家族も住んでいます。
そして実際に加害者の母親に帰るよう促されたこと、被害者の生理用品を買い出しに行ったこともあるとの噂があり、古田さんが自宅にいたことは認識していたようです。
しかし、古田さんが逃げ出したところ再び捕まることとなり、犯人グループは逃げるきっかけを作った母親にも脅しを始めたそう。
このことから監禁状態であることを知っているのにも関わらず、誰も介入できない環境ができてしまったようです。
古田さんも、逃げたら家族に危害が及ぶと言った脅しをかけられたり、しばらくしたら帰れるという内容を示唆されたため、それを信じて最善のタイミングを待ち構え、苦痛に耐えていたのかもしれません…
コンクリート事件の犯人の現在は?
では、この極悪非道な事件を起こした犯人グループの現在はどうなっているのでしょうか。
主要メンバーは以下の4名で、中には結婚し家族を持った者もいるようです。
・宮野裕史
・小倉譲
・湊伸治
・渡邊恭史
犯人は当時未成年だった
被人道的な犯行に及んだ犯人グループですが、当時未成年(15歳から18歳)であったこともあり、極刑を受けることもなく現在は全員出所していると言われています。
猥褻、誘拐、略取、監禁、強姦、暴行、殺人、死体遺棄と罪を重ねたのにも関わらず、です。
当時、刑が軽すぎると世間では少年法を疑問視する声も多く挙げられていました。
主犯格 宮野裕史の現在
主犯格である宮野は裕福な家庭で育ったそう。
しかし両親の夫婦仲は良いものではなく、証券マンである父親は外で愛人を作りほとんど家には帰ってこなかったといいます。
女手一つで育ててくれた母親は情熱的すぎるがあまり、躾の一環として宮野に対して暴力を振るうこともありました。
複雑な家庭環境と、厳しいしつけ、学校でのいじめなどが残忍な宮野の人格を形成してしまったのでしょう。
また事件の後は、懲役20年の判決を受け2009年に出所し、養子縁組を活用し「横山」の姓を名乗っています。
しかし、2013年に振り込め詐欺で再逮捕。
以降もマルチ商法や詐欺などを働いて資金繰りをしていましたが、その後の消息は不明となっているようです。
宮野の出所後の足取りは以下のようです↓
・東大阪市西石切町7丁目にある輸入住宅に住む予定であった
・埼玉県川口市に住み、宮内解体工業所で勤務
・栃木県小山市に住み、日研総業の派遣社員として茨城県古河市のキャノン化成に勤務
・茨城県取手市にある、実母・宮野静江の寝具店に勤務
・2013年頃には東京都多摩市に住所があったとの噂あり
その後も転々としているようですが、2024年現在の居場所は分かっておりません。
ちなみに宮野の家族はその後自宅を売り払い、被害者遺族に5000万円の慰謝料を支払った後、仕事を辞めています。
小倉譲の現在
小倉の家庭も複雑だったようで、母は子を養うために水商売で稼ぎ、父は離婚こそしていないものの愛人とその子供2人がいたそうです。
子が何をしようと注意する大人がいない環境で育った小倉は、高校で暴力事件を起こし退学になりました。
そして小倉には懲役5年以上10年以下の不定期刑が下されました。
彼もまた刑期を終えたタイミングで名前を小倉から神作の姓に変えて出所。
刑務所でパソコンについて学習していた経緯からIT会社に派遣社員として就職しましたが、コンクリート事件の犯人だということがバレてしまい、退職したようです。
退職後は定職につかず、暴力団事務所に出入りするようになったと言われており、監禁・暴行のトラブルを起こしています。
裁判では『一生かけて償う』といった発言をしていたようですが、全く反省していないということに驚きを隠せません。
このような残忍な行いをするような者に人の心はないのでしょうか…
宮野の家族は慰謝料5000万円を支払ったようですが、小倉の家族が遺族へ支払った慰謝料はわずか50万ほど。
本来支払われるべきであったお金を使って車や高級住宅を購入しているとの情報があります。
さらに悲惨な事件を起こした息子を庇おうとしたのか被害者である古田順子さんのせいで息子の人生が狂ったと逆恨みし、被害者遺族への謝罪どころか墓荒らしをしたとのエピソードまで残っているようです。
子が子なら親も親…
言葉を失ってしまいますね。
そして小倉は、2002年に中国籍の女性と結婚したようです。
日本国内での就職は難しいと考え、中国へ行くために中国籍の女性と結婚したようですが、結局中国に行くことはなく2004年に離婚したとのことです。
2024年現在、小倉がどこで何をしているかは分かりませんが、大阪府大津市や泉佐野市にいるといわれています。
また、結婚して子どももいるという噂も流れているようですが、どれも信憑性が低いため真相は分かりません。
湊伸治の現在は?
主犯の宮野と類似点がありますが、湊の父親は共産党系診療所の事務長をしており、厳格な性格で厳しい教育方針だったそうです。
家庭内ルールを破ると躾と称して暴力を振るい、また酔っ払った勢いで手を出すこともあったようです。
そして実はこのコンクリート事件での監禁や暴力は、東京都足立区綾瀬にある湊の自宅で行われていて、母親や兄はそれに気づいていたものの黙認していたといいます。
そんな湊には、懲役5年から9年以下の不定期刑が下されました。
出所後はムエタイでプロデビューしたものの、実力があまり振るわなかったことと、事件のことがバレるなどが重なりすぐに辞めているようです。
また、湊はルーマニア人又はリュヒテンシュタイン人の女性と結婚し、娘が1人いるようです。
結婚後は大阪に新居を構え、介護資格を取り大阪府寝屋川市で福祉の仕事をしていたという噂や、関東圏のパチンコ店で働いていたという噂があります。
しかし、2018年8月に別の殺人未遂でも逮捕される事件を起こした際に「独身の無職」と報道されていたため、現在では離婚している・離職している可能性が高いと思われます。
渡邉恭史の現在は?
渡邉恭史は主犯4人の中で唯一、再犯歴がないとされている人物です。
渡邉は少年院でいじめにあったり、元々気弱な性格だったりしたことから、出所後は神奈川県横浜市にある自宅で引きこもっていたといわれています。
また、気弱な性格が影響したためか、初公判では失神したという噂もあるようです。
渡邊は以前、姉夫婦と神奈川県横浜市のアパートで同居しているという噂があったようですが、2024年8月現在でも同居しているかどうかは不明です。
目の病気を患った、精神を病んだなどの情報から、生活保護をうけているという話もあるようです。
ただ、これに関しての詳しい情報などは少ないため、事実かどうかは分かりません。
まとめ
コンクリート事件の主犯格4人が、現在どこで何をしているかについてはっきりと分かっている情報は少ないことが分かりました。
目撃情報や犯人に関する噂はデマも多く、主犯格4人は40代を過ぎてなお名前や姿を変えて今も生きていることはほぼ間違いありません。
非人道的な行為であったにも関わらず、極刑とならなかったことに不満を抱く世間の声は多くありました。
このような事件が二度と起きないよう、心から祈るばかりですね。
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